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息子の人生、自分の人生、そして、相対主義

一昨日、後輩が父親になりました。

私は娘さんをどんぐりと命名したのですが、

後輩は

『考えておきます…』

と言っていましたが、
昨日、今日と休んでいるので、
もう違う名前で出生届を出しているものと思われます。

くそっ!折角考えたのに!

俺だけでも、彼女をどんぐりと呼んでやる。

大体、どんぐりって名前だったら、
営業やったら、ピカイチな名前ですよ。
何の営業でも1番です。

ぎゃばくらでバイトしても、どんぐりなら指名ナンバーワンだと思います。
しかも、可愛かったら、

あのこ、可愛いのに、気取ったとこがないんだよね!
なんてなります。

だって、どんぐりなんて名前じゃ、気取れませんからね。
そもそも、


で…

行き成りなんですけれど、
私の子供のほうも大変で、
息子が学校をサボったという連絡が元嫁からあり、

『アンタ!父親なんだから何とか言いなさい!』

とかいって、俺が怒られました。
なんで、怒られるときだけ、父親と強調するのだ。

で、よく聞いたら
1度か2度サボっただけらしくて、
そんなことは別に良いと思うのですが、
なんか、本人曰く、やる気が出ないらしいんです。

そして、なんか母親に反抗しているらしいんですね。

で、これは、私の予測なのですが、
俺がアイフォンを買ったのを真似して、
元嫁がアイフォンを買ったのに、
息子はいまだに、10年前みたいな携帯を使わされていることに
腹を立てているようです。

で、
学校なんて行きたくない。
とか、言ってます。

じゃあ、辞めちゃえば。

とか言ったら、
元嫁は、

『あんたいまどき中卒じゃ、仕事なんて無いじゃない!どうすんのよ!高卒でも糞よ!』

なんて、言っております。
俺も糞です。とんだとばっちりです。

で、こんな感じで
買ったばかりのアイフォンで無料でかけてきて
スピーカーにして、なんかしながらで延々と愚痴られるものですから、
こちらもたまりません。

太郎:『もうメンドイから、辞めちゃえよ。』
息子:『わかった。』

元嫁:『あんた何いってんのよ!』
太郎:『アイフォンはすごいな、みんなで唯で話できるな。』

元嫁:『ふふふ、そうでしょう。すごいのよ、ふふふ。』
息子:『俺の携帯と代えろ!』

と、議論が収束しません。

やっぱり、お前らの問題はアイフォンだろう。
アイフォン使いたくてかけてきてるやつと、
アイフォンが欲しいやつの水面下の戦いだろう。

で、もうめんどくさいので、本人の好きにさせろ、
俺が次に休暇で代えるときまで考えて、結論をつける
という事で話が付きました。

まあ、勝負持越しという感じです。

で、まあ、そこで話を終えたのですが…

果たして、どうなんでしょうかね。
どうしたものか、
良い機会なので、書きながら私の考えを纏めてみたいと思います。

基本的に私は息子の自由にすれば良いのでは無いかと思っています。
勉強する気が無いのなら、辞めればよいのではないかと思うし、
大学も別に行ってくれなくて良いです。

でも、何か引っかかる訳ですな。
回答としては、自分好みではあるが、
果たしてそれで、私自身が後悔をしないだろうか。

と考えます。

そもそも、幸せの形はそれぞれ、
息子には息子の幸せの形がある。

という、人それぞれ。

という考え方は、相対主義と言い、
非常に古く、プロタゴラスと言う
哲学者が紀元前500年前に、

『人それぞれなんだから、真理も人それぞれ、考えても仕方ない。』

コップに入った水を冷たいと感じるアフリカ人もいれば
熱いと感じるエスキモーもいる。
一つの事象も、人に感じ方が違う。

『価値観なんて、人間が10人いれば10通りの価値観があるものです。』
『生き方は、人それぞれだから。』

と、主張したことから始まります。

で、実はこれって、現代社会でも結構はやっていて
相対主義的な人、案外と多く、
現代社会の主流の考え方であるでしょう。

テレビドラマなんかも、
頭の固い親が、子供のやりたい事を認めて
みんな幸せハッピーエンドみたいなのが
いまだに流行ってますもんね。


で、この相対主義なんですが、
なんか、自由主義みたいでかっこいいと言うか、
喧嘩とかあった際には、

人それぞれだからね。

見たいな感じで言うと、相手を尊重していて
言った本人も自分を持っているみたいな捕らえ方をされますので
ちょっとかっこいいのですが、

でも。

この相対主義には、
諸刃の剣とでも言うような
大きな落とし穴があるんです。

まず、利点は
論理的に負け知らず、言い争えば100%勝つのです。
そのせいで、哲学の世界においても
ギリシャの時代に大流行しました。

何しろ、
哲学と言うのは、真理を追い求めるものであり、
どちらが真理に近いかを争うのが、哲学者であるのです。

そもそも、哲学とは
人それぞれで、幾ら考えても、千差万別。

という考えでは成り立たない学問です。

『それは、君の真理ですよ。
文化の無い、本当に空腹な人が泥棒をするときに
どんな道徳的な真理があるのかね。』

なぜ、人が道徳的かを議論していても、
相手の考えを根底から覆すことになる訳ですので
負けないのです。

ただし、
じつは、殆どの場合、この時点でこの議論は意味の無い議論となります。
進歩は皆無となります。
この論理を展開した時点で思考停止していて、考えてない。
たとえ、相手を言い負かしても、自分自身も相手も真理には近づけないのです。
つまり、より良い選択を出来ていると、
納得できる状態に至っていないということです。

大体、考えてもらうとわかりますけれども
相手が親だとか、子供だとか、
自分に密接に関係する人が、
犯罪に手を染めたり、薬をやったりしていたら、

人それぞれだからね。

なんて言ってられない訳で、

人それぞれ、といった時点で
考えることを放棄している、
その人にとってどうでもいい事だとわかります。

もちろん、
相手の自由と意見を尊重するのは重要ですけれど、
それにしても、自分の経験を全て語って上で相手に自由に選ばせるのと
ただ、単純に人それぞれと語るのはまったく意味が異なるのです。

思考を停止させるのは良くない。

繰り返しますが、
この人それぞれという理屈は、論じて負けることがありません。
論理的に負け知らずな訳で、
これをこちらが向きになって、正面切って論破すると、
変人扱いされます。

蛇によって、悪いケースでは人の堕落した姿勢にさえも
正当性をつけてしまうことになる場合が多いのです。

ついでに言うと、この理屈は論じている本人ですら、
自分のうそを信じ込んでいる場合が多いです。

例えばですが、
キリギリス的な人生を送っている人が周りから諭されていても
人それぞれ論で理屈をつけるというのはよくないわけです。
なぜなら、自分自身もそれでよいと信じてしまうからです。

真実を捻じ曲げてしまうからです。

屁理屈の多い人は、この理屈が多いし、
自分の行動を肯定する為に、知らず知らず、
人それぞれ理論で、思考停止している人も多いです。

で、
私が何でこんな事言っているかというと、
私のコンドがまた、断水でシャワーに入れず、
気持ちが悪いのですが、

世の中に真理はあるね。

人それぞれは、やっぱりおかしい。
特に、大事な人に対して、人それぞれとか言ってられない。

せめて、思っていることは口にして、最大限良いほうに
(俺が考える…良い事だか。)
に近くなるように、骨を折るべきだ。

皆、シャワーに入らないより、入ったほうが良い。
苦労しないより、したほうが良い。
レストランを紹介するブログは一つで良い。
お金も稼いだほうが良い。
結婚もしたほうが良い。
会社も続くなら、続いたほうが良い。

何でも、良い方が良いのです。
私は相対的な考えの持ち主ではないのですが、
親が子供に何かを強制するってのは、
良くないかもしれないけれど、
ただ、漫然とやる気が出ないのであれば辞めてもいいのではないか、
と言うことでは、いかんということです。

俺の経験から言うと、
立ち向かって負けるのと、
レイジーな結果、好きなことをするのとではな
同じ結果でも後悔が違うということです。

OK。わかった。

せめて、この気持ちは熱く、頑固に語らなければならない。
その上で、高校なんていっても意味が無い。
他にもっと面白いことを探したいと言う、
熱い意見があるならば、俺もやつの意見を聞くことにしよう。
他人ではないのだから、好きにすればいいじゃないだけでは
話がすまないのである。

OK、まとまった!

世の中の、息子さん、娘さん。
きっと、世の中のお父さんは同じ気持ちで、
つい言ってしまうんじゃないですか。

だけど、
もし、本当に喧嘩の理由がアイフォンだとしたら
こんな事考えているのバカらしいですけど、
20%くらいの確立で、本当にアイフォンで喧嘩していると思います。
これも、相対主義じゃないけれど、
みんな、アイフォンが欲しいんです。これ、真理。

テニスコーチ太郎

別に無理して押さなくてもいいんだよ。
人それぞれだから。

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