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許す

皆様、どもども。

シンガポール太郎です。

先日、例のボランティアで担当の少年と会った時に
彼の恋人の親の話になり、

アイツだけ、親がいて、喧嘩すると直ぐ親のとこにいくんだよね。
俺も父親と仲良くすっかな。

と言っていたんです。

ここでは詳しくは書けませんが、
彼の父親も凄くて、
現在80歳近くで孤独死寸前なのですが、
昔は酷かったようで、
彼は児童福祉施設に入っていました。
色々と有ったようです。

でも、今、彼は父親を許しはじめているんですね。
器の大きな男です。

それに引き換え…
と自分を振り返ると器の小ささに反省もし、
出来れば…と言う気持ちも有ります。

いろいろ、複雑なんです。
この気持ちを表現するのは凄く難しい。

まあ、しかし、彼のお陰で思い出しました。
今日はちょっと忙しいので過去日記ですが、
父親との関係をちょっと考えてみようかなと思った日記です。
数年前に書いて、
いまだに会っていないですけど、早く気持ちを整理しないといけませんね。

----------------------------------------------------------------------
『ひとしの事、見捨てないでやってくれな…』

これが祖母と交わした最後の言葉だった。
俺は五年前に祖母を亡くしている。28歳の時だったろうか。
その当時から海外で働いていた俺は、滅多に田舎に帰ることはなかったが
その時は祖母を亡くす二ヶ月前のお盆に、たまたま帰省する事が出来た。
時期がちょうど良いので墓参りに付き合えとばあさんから電話があり、
墓参りに付き合うことになった。

上記の言葉は墓参りが終わったあと、
俺がばあさんの家を離れる時に祖母から掛けられた言葉だ。

いつもは普通に

『じゃあ、帰るわ。』

『気をつけてな、男は仕事だからな。辛くてもぐっと歯を食いしばって…うんたら、かんたら、うんたら、かんたら…』

『わ、わかった。もう行くから。』

と軽く言葉を交わす程度だったのに、
なぜかこの時だけは祖母が家の前まで出てきて、玄関口にある2段の階段に腰を掛けて、
俺を見送ってくれた。
これは本当に今でも本当に不思議なんだけど、
あの日、祖母に会った最後のあの日だけ祖母は名残惜しそうに
元嫁の実家に帰る俺をいつまでも見送っていた。

実はこの時、俺の親父、つまり彼女の息子は既に行方不明、
正確に言うと行方は分かっていたんだけど簡単に会えない場所で、
尚且つ祖母の心境として会いにいけない状況だった。

同じく、祖母と俺の母親の関係も途絶えていた。
祖母としては、親父がこの様なことになったのは母のせいでは無いと分かってはいたが
最後に親父と離婚した母親に対して複雑な心境で、
尚且つ、あわせる顔がないと言うような気持ちもあったのだろう。
親父と母親が離婚してからは顔をあわせることができなかった。

それでも、何十年も嫁と姑をやった二人には色々な葛藤もあったし、
喧嘩もかなりのものだったけれど
最終的には実の娘より信頼できる関係だったのではないかと思う。

祖母はいつも、

『この年になって息子と娘を一度に失うなんて、人間はいったいどこまで苦労すれば良いのかねえ。』

なんてことを言っていた。

正直に言うと、ウチの親父は本当に人間の屑であり、
チャランポランのアッパッパーなのだが、
妙に性格がねちっこくて、執念深かったりして、
酒乱で酒を呑みだしたらどうなるか分からない。

とにかく、いろんな意味で恐ろしかった。
何を考えているのかも分からないし、何で怒られているのかも理解できない。
ただ、自分の感情をあたりに撒き散らすという、ガタイの大きい子供なのだ。

だから、俺は父親の事が嫌いだった。
正直、親父がいなくなって清々していたし、もう二度と顔を見たくないと思っていた。
母親と離婚することになった事も、俺にしてみればこれ幸いで、
俺自身が海外で働いていればもう何も接点がない。
一生会わなくてすむと、心のどこかで喜んでいた節すらあった。

だから、父親のことなんて忘れてしまおうと思っていた。

それであの最後のセリフだ。

祖母があの男の名前を口に出すだけで、瞬間的に苛立ちを覚えた。
その時、俺の人生は順調に進んでいるとは言いがたいものの、
何事にもそれなりに軌道に乗ってきて、
自分で生きていけると言う手ごたえを感じ始めていたときだったので、
急に父親の名前を聞かされることに物凄く、嫌なものを感じた。

足を引っ張られるような気がしたんだと思う。

だから、最後、車に乗り込みながらこう答えたのを今でも覚えている。

『ばあちゃん、俺は嫌だよ。もう、あいつとは二度と会いたくない。』

その言葉を最後に俺は車をだした。

そして2ヵ月の時が流れて、突然に祖母は死んだ。

彼女は祖母であると同時に、俺の育ての親だった。
幼少時代、俺はわけあって彼女と二人で生活していたし、、
俺の両親は自分の事で精一杯だったので、俺は彼女に躾けられた。

躾の厳しさは俺の同世代では経験した物がいないのではないかという位に
厳しい物で、食事は小さな御膳にて取らされ、
大人が使うちゃぶ台ではでは食べさせてもらえず、
食事中はいかなる時も正座させられ、米粒一つですら残すと怒られ、
お客さんが来た際にはきちんと挨拶しなければ
たとえ廻りに人がいようが無言のまま強烈に石炭ストーブ用のデレキ?(鉄の棒)で
叩かれると言う程の厳しさ。

だけど、俺はそんな祖母を親よりも慕っていた。
たぶん、厳しさの中にも愛情を感じる事が出来たからだと思う。

彼女はいつも自分で自分の事を『明治の女』と言っており
それが、どういう意味なのか、本人の口から聞いた事はなかったけれど
恐らくは、厳格な人間であると意味だと思う。

背筋を伸ばし、どんな事にも凛とした姿勢で臨む。
何事にも絶対的な信念をもって、意思を曲げようとはしない。
今でも、尊敬している人間を一人上げろと問われれば、
俺は彼女の名前しか思い浮かばない。

そんな祖母と交わした最後の言葉が

『ばあちゃん、俺は嫌だよ。もう、あいつとは二度と会いたくない。』だった。

祖母は自分の死期を分かっていたのだと思う。
だからこそ、『厳格で曲がった事が嫌いで親父とは縁を切った祖母』
が自分の息子の事を孫である俺にお願いしたのだ。

恐らく、最後の心残りは俺との墓参りと親父の事であったにちがいない。

しかし、俺は
『ばあちゃん、俺は嫌だよ。もう、あいつとは二度と会いたくない。』
と答えた。

本来であれば、けじめを重んじる彼女が縁を切った息子の事を
誰かに依頼することなどありえない。
死を覚悟した祖母が最後にもらした、
恐らく人生で最後、もしかしらた最初で最後だったかもしれない弱音に対して、
俺が親父に自分の足を引っ張られたくないと言う理由のみで発した、
イライラし最低最悪で無情なセリフが最後の言葉になってしまった。

彼女は最後まで自分の息子を心配し、心を残して死んでいったんだと思う。

どうして俺は、あんなにイライラしていたんだろう。
どうして俺は、あんなに冷たい言葉を吐いたんだろう。
どうして俺は、自分も人の親になっていたはずなのに、彼女の言う事が理解できなかったんだろう。

全てが悔やまれる事柄で、心底自分のことが情けなくなった。
恥ずかしさなんて忘れるほど情けなかった。
できればあの日に戻して欲しいと何度も何度も思った。とにかくとにかく後悔した。
多分、これからもずっとずっと後悔しながら生きていくのだろうと思う。

月並みな言い方だけど、全ての人に後悔なきように接するべきだ。
何が最後のセリフになっても、何が最後のワンシーンになっても、
後悔することないように人と接していく。
それでもきっと大切な人を失った時は後悔することは山ほどあるだろうけど、
少しは救われるんじゃないだろうか。
そう思えるようになった。

たとえ絶縁したとしても、親は子供を憎む事なんて出来ない。
たとえ、口を聞いてもらえなくても、
親に自分の気持ちをちゃんと伝えておく必要があるとおもう。



ふと思い出してこんな事を書いてみました。

と…こんな事を書いていたら、ふと末娘の誕生日が近い事を思い出しました。
プリキュアの靴を買ってくれとせがまれていたのをすっかり忘れておりました…

去年はすっかり忘れていて、まだ赤ちゃん言葉ながらも
むにゃむにゃと文句を言われましたので
今年は元嫁に依頼してプレゼントを用意しようと思います。
電話もしてやろう。

ほら、女ってのはこの死んだばあさんから、うちの末娘まで同じですけど
誕生日を覚えているとか、忘れているとか、そういうわけの分からない事で
自分が愛されているか、いないかとかそういう事を言い出しますから油断できません。
誕生日を忘れても愛しているものは愛しているんですけどね。
まあ、うちの親父も馬鹿で結局絶縁したまま、祖母に連絡もしてこなかったけど
祖母を愛していたと思います。

では、

いつもはクールで、シャープな、ロンリーウルフである、敏腕ビジネスマンの私も娘の手に掛かると、

『パパでちゅよー!プリキュアかいまちたよー!』

なんて感じになるので、
私のハンサムでクールな所に引かれてこのブログを読まれている方には大変申し訳ないのですが
とりあえず、プリキュアの靴を手配しなければなりませんので、
これにて失礼いたします。

-----------------------------------------------------------------------------------

気持ちの整理には時間が掛かるけど、
許してみようと言う気持ちになったのは、
大人になったからなのですかね。

今度、父親にポエムでも書いてやるか。

シンガポール太郎

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胸に響きました☆

初めまして☆

玉依と申します☆

今日、会社の友人(女子)に紹介されて、初めて読ませて頂きました☆

そして過去に遡って来てこの記事を拝読させて頂いたんですが☆

とっても胸に響きました☆

お父様を許されると言う事は、ご自身の事も許されると言う事ですね☆


拝読していて、『ミラーワールドの魔法』『すべてを幸せにする鏡の奇跡』と言う本が思い浮かびました☆

もしご興味が有れば、ぜひ読んでみて下さい☆

ではでは、ベトナム次郎さんの話しの続きと、恋愛と結婚に焦っているケースの対処法楽しみにしています♪♪♪

有難うございました☆


彼女さん、出来て良かったですねっ(*>▽<*)!


玉依さん

コメント有難うございます!

仰るとおりで、
人を許すと言う事は、自分を許すと言う事なのかもしれませんね。
『ミラーワールドの魔法』『すべてを幸せにする鏡の奇跡』、
読んでみます!

また、読みに来てください!

> 初めまして☆
>
> 玉依と申します☆
>
> 今日、会社の友人(女子)に紹介されて、初めて読ませて頂きました☆
>
> そして過去に遡って来てこの記事を拝読させて頂いたんですが☆
>
> とっても胸に響きました☆
>
> お父様を許されると言う事は、ご自身の事も許されると言う事ですね☆
>
>
> 拝読していて、『ミラーワールドの魔法』『すべてを幸せにする鏡の奇跡』と言う本が思い浮かびました☆
>
> もしご興味が有れば、ぜひ読んでみて下さい☆
>
> ではでは、ベトナム次郎さんの話しの続きと、恋愛と結婚に焦っているケースの対処法楽しみにしています♪♪♪
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> 有難うございました☆
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> 彼女さん、出来て良かったですねっ(*>▽<*)!
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