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異常であると言う事

皆様、どもども。
 
シンガポール太郎です。
 
諸君、今日は異常とは何かという、
少なからず、
重要なテーマに何がしかの答えを模索しようと思うのだが、
 
ここで言う、異常、とはひとまずは
『精神障害』と仮定して理解して頂ければ結構であるが
これはあくまで仮定である。
 
と言うのは、
異常というものが、疾患や障害、つまり病的なものとされたのは
近代に入ってからのことであるが、
実際には全てが全て病的なものではないし、
病的な異常と、病的でない異常の境界線は非常にあいまいである。
 
精神異常ではない、殺人者や倒錯者は星の数ほど存在する。
 
現代科学では、人の心のメカニズムを全て解明できてはいないが
最近は理解に苦しむ他人の異常な精神状態を全て病的な物として片付ける傾向があり、
これは、我々個人の異常者への偏見を生むだけであり、なんら意味が無い。
 
我々が今日考えるべき事は、
 
『誰が精神異常者であるか、否か。』
といった話ではなく、
『異常とは何か。』である。
 
相手が精神異常であろうが、なかろうが
我々は日々、異常に相対する必要があるわけで、
病気か、病気ではないかは、
我々には関係ないことなのである。
 
話を進めたい。
異常とは何か。
 
異常と言う日本語を素直に解釈すれば、
その字義から見て、『常からの異なり。』となり、
常なる状態ではない、と言う事をあらわしている。
 
因みに、英語である、アブノーマルも同じであるが、
ノーマルとは、標準、規定、規則等を意味する。
 
つまりは、先に規定や標準があり、
そこから逸脱するものが異常なものなのである。
そして、その規定の中には人々の価値観なども含まれる。
 
そもそも、
人間の長い歴史のなかでは色々な規定や価値観が移り変わってきた。
しかるべきことであるし、
地域や、各コミュニテイによって特色があってしかるべきものである。
 
簡単に言うと、年代、家族、地域、会社、サークル、など
全ての社会において、多数派、マジョリテイがノーマルであると言うことであり、
逆説的に言うと、少数派、マイノリティがアブノーマル、異常なのである。
 
簡単なことだ。
要するに力関係に他ならないのである。
力を持っているほうが、ノーマルになる。
 
中世の魔女狩りは、今の我々の感覚からすれば異常であるが、
当時は魔女とされた人達が異常とみなされていた。
時代や環境と共に変わるのである。
 
上記のような状況を鑑み、
我々が異常者に対している行動を思い出してみて、
簡単に想像できるのは
100年後の人達にとって、精神疾患や、心の仕組み、
などが全て解明されつくしていたとしたら、
我々の今、精神疾患のかたたちに対する対応が、
魔女狩りのように酷い行動に見えるのではないか。
もっと最近の事とすれば、同性愛者への偏見と同じようなものなのである。
 
時代は移り変わっていて、
異常というものが、マイノリティをさすのであるとしても、
時代は少しずつ、個性を尊重し、少数派を尊重するべく移り変わっている。
 
時代を変えるのは、常にマイノリティであり、異常者なのだ。
 
ここで、勘の鋭い人なら、現在は過渡期であることがわかるはずだし、
この時代特有のやりにくさを、理屈として理解している人も多いだろう。
 
現代社会では、
ノーマルであると同時に、個性も求められる世の中だ。
 
個性、即ち、個別の特徴を追求すれば、
マイノリティになってしまうのであるが、
しかし、異常であってはらず、
多くの人に認められなければ、KYと呼ばれるそんな時代。
これは、間違いなく過渡期である。
 
このバランスを保ち生きることが出来ることに越した事は無い。
しかし、そこで、無理にマジョリティに入ろうとすること、
マイノリティを排除する。
 
果たして、それにどんな意味があるのか。
 
逆説的に言えば、過渡期である、現代社会においては
異常であることの弊害も少なくなってきているのだ。
 
異常であることを恐れたり、
異常である人を過剰に恐れる必要など無い。
むしろ、積極的に取り込み、色々な考えを吸収するべきであろう。
 
必要あらば、異常であれ。
 
この精神で望むべきである。
 
シンガポール太郎
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