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ベトナム次郎さんファミリーとの出会い その1

アナタに年頃の息子がいるのならば、
一切れのパンと硬貨を持たせて旅にやるといい、
きっと見違えて帰ってくるはずだ。
(ロバート・アンダーソン)

何度も言いますが、
旅は少年を男にし、少女を女にする。
未熟な子供を成熟した大人にする。

精神が未熟であるものほど、旅によって大きなものを得る。
特にその旅が孤独であるほど、困難であるほど成長する。
旅は見聞を広め、心を広くする。

まだ見ぬ土地の土を踏み、人々と触れ合う。
きっとそれは書籍を百冊読む以上の知見が得られるはずだ。

『知るは見るなり』

旅を端的に表現するならば
文化を感じ、教養を養うことであると俺は常々思っている。

本来、文化と教養は一心同体であるべきであり、
旅には高度な知識は必要ないが全て教養ある行為が要求される。
教養の伴わない旅は、旅といえるしろものではありえないだろう。

こう書くと、いったい何が言いたいのかと言われそうだが
簡単に言うならば

文化とはその場所の住人とその活動であり、
教養とはそれらに敬意を示し、理解しようと勤める事にある。

6月23日~24日、
私はベトナム次郎さんファミリーに記念品を届ける旅出た。

これはその記録である。

6月23日(土)

朝9時に起床、因みに航空機の出発時刻は朝7時だ。

いきなり、この旅、最大の危機。

まだ旅にすら出ていないのに、
旅の危機が自宅のベットの上で俺を襲うなどと言う事は予想だにしなかった。

昨日の2件目がいけない。あれが余計だった。

痛恨の飲み会

、一軒目でチャラ男に説教していたら、
呑みすぎて二件目まで行ってしまった。

俺に関わった全ての男を、真の男にするというのは
俺の人生目標の一つであるが、飛行機に乗り遅れるなんて事があるんなら、
ちゃら男なんかほっときゃよかった。
あのチャラ男め、呼んでも居ないのに来て、
可愛いこが居ない、等と大きな声で言いおって、教養のかけらも無い。
お前の目には彼女達のよさが見えてないだけだ。ガキめ。

と、いきなり、
俺自身も教養なんかどうでも良いという気分になるが
ここで気を取り直すところが俺の良いところだ。

他人と過去は変えられない、しかし、自分と未来は変えられるのである。

自慢ではないが
私は飛行機に乗り遅れる事に掛けてはかなりの腕前である、
すぐさま、違う航空会社のホームページにアクセス、
ブログを書くよりも簡単に次の便を予約した。

と言うわけで、
予定より6時間くらい遅れて、
ベトナム、ホーチミンの地に降り立った。
この時点でも十分に約束の時間前である。

最大の危機を乗り切った俺は
久しぶりに、作り物ではない街に降り立った。
雑踏を目の前にし、アジアの仮借ない熱気を体に受け、
否が応でも気が高ぶる。

もう帰らないと行けないので、
続く
(写真を持ってくるのを忘れた。)

関係ないですけど、
あまりに本文が短いので私の料理の腕前を披露したいと思います。

皆様、お待ちかね!
今日の晩御飯のコーナーです!

今日はプチトマトの冷製パスタwith セロリの葉、カリカリベーコン、
鳥肉のデミグラス煮込み、キャベツの千切りサラダです!
上手く出来ました!

冷静パスタ

と、FACEBOOKをコピーして終わります。

シンガポール太郎

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鼻くそですけど、何か?

いやー、
離婚して10年以上別々に暮らしていた息子が転がり込んできたよ。

とまあ、軽やかに彼女にピロートークで
今日の出来事を語るみたいに言ってますけど
事態は非常に深刻でした。

なにせあんた、
高校生の息子が学校辞めてきちゃいましたからね。
子犬を引き取るのとは訳が違います。

皆様、どもども。
シンガポール太郎でございます。

前回の日記ではあまりの動揺に取り急ぎ、
『シンガポール太郎は死んだ。』
とだけ更新して皆様と苦労を分ち合おうとしたんですけど、
その、あれですよ、
いくらなんでもあれは無かったなと自分で反省しています。

だって、世の中の全人口、70億人の半分の35億人、
つまり、全世界の女性が毎日よだれを垂らして、
楽しみにしていた日記を、
『死にました。』だけで終わらせちゃったわけですからね。
ほんと、俺は罪作りで目を離せない男だ。

でもね、俺の気持ちも分かって欲しい。
俺としては、ああいう状況ですと、
なんとなく詳細を書くのを憚っちゃうわけですよ。

だって、あの時はほんとにマジで動揺してましたからね。

そりゃね、
乗り越えてしまった問題に関しては、いくらでも言えます。
吹っ切れた事に関してはいくら人に話しても気になりません。

だから、俺の父親が性犯罪者であるとか、
元嫁がマルチにはまり、浮気されて離婚したとか、
高校生のときまで右足の指が6本あって、
一本ぶった切ったとか、
仕事で数億失敗して、
なんか本社から一番遠い海外支店に飛ばされたり、
元嫁に彼氏が出来て、最初、娘がなついてなかったのが、
今はすごくなついて、なんか寂しかったり、
その代わり息子が飛び出してきたりとか、
大人の事情でここにかけないこともあるけど、
こんな事はもう吹っ切れた。

俺が全部引き受けてやる!
みんな!幸せになれ!
もうどうとでもなれ!

と思います。

まあ、当時を思い出すとちょっと死にたくなる。

しかし、これって、いわゆる不幸自慢なとこもあると思うんですよ。
こういう、普通の人なら舌をかんで死にたくなるような事でも
乗り越えてきた俺ってすげえな。って、よく分からない自負があり、
それが、『俺、一生死なないんじゃないか?』って言う、
よく分からない自信にもなったりするんですね。

ま、みんな、一生死なないけどね。

尚且つですよ。
こういう話をすると、皆様の心をつかめるじゃないですか。
正直、この話をしてみんなが同情してくれたら、

可哀想な自分を見ろ!そして慰めろ!って思います。

そして、
『かわいそう過ぎる!私を抱いて!気の済むまで!』

って女性が現れるんだけど、

『俺は彼女としかエッチしないから。』

見たいな、なんか偉そうな感じで、断りたい。

とか思いますよ。

正直、なんか気持ちいいんです。
大体、過去の事だし、隠しても仕方ない。

し、か、し

ほんとに、その問題の渦中に居るときはそんな事いえないわけです。

だから、『シンガポール太郎は死にました。』
としか書けないわけですよ。

だって、俺だけだったら、いくらひどい目にあおうと生きていけるけど、
息子には俺と同じような半ばやけくそな人生を歩ませたくないじゃない。

アジアのどっかでノタレ死ぬのは俺だけで十分で、
息子にそんな生活させたくないじゃないですか。
まともに幸せになって欲しい。

その時、思いましたね。

自分のことを強いと思っていたが、それは間違いでした。
こと、家族の事になるとまったく駄目なんです。

結局、俺は、
俺自身のことを大事に思っていなかったという
なかば、頭のおかしい人だから、無鉄砲だっただけであり、
これは、真に強いと言う事じゃないんですね。

現に、息子がくだらない人生を歩んだりする可能性があるのではと考えると、
恐怖し、成田で息子に会った時は足が震えました。

ほんとにこれで良いのかと暫く悩んでました。

息子は元嫁の彼氏に馴染まず、家を出たいと言う。
学校に行かない。
元嫁は息子が居ない方がすっきりするみたいな態度。

これで、俺が息子を引き取ると言うのは話として綺麗だけれど、
本当にそれで良いのか、と思ったんです。

だから、 『本当に良いのか、やめたほうがいいんじゃないのか。』

と何度も言ったんですが、
その話の最中に一度、

『見捨てないでくれ。』

って、息子が言ったんですよ。

その時、胸が締め付けられましてね。

そもそも、社会人としての俺自身が鼻くそであるように、
父親としての俺自身も鼻くそなんです。

父親として、何もしてこなかった。
元嫁のもとで生活させていたのも、ある意味逃げだったのかもしれません。

その代わり、俺自身は今まで好きに生きてきた。
チャンスもそれなりにあった。
辛い事もあったが、充実した人生であった。
辛いかもしれないが、生まれ変わってもまた、俺として生まれたい。

息子が海外で生活したいというのであれば、息子にもチャンスを分けてやるべきだ。
俺はアジアに埋もれて死ぬかも知れないが、
息子にとってはその生活は何事にも変えがたい良い経験になるのではないか。

確かに息子は無鉄砲だけど、
ビビらないで、思い切ってやってみて、
後は自分の人生なのだから、腐った人生であろうと、輝いた人生であろうと
息子の好きに生きればいいのだ。自分で人生を決めた男は常にカッコイイ。
カッコ良くなってもらいたい。

そう思ったんですね。

だから、
この数ヶ月、俺も目一杯に惜しみなく努力しました。

まずは会社に説明し、家をさがし、引越しをしました。
学校探しにも付き合い、何校も訪問して断られ試験さえ受けられない日々が続きました。

辛い日々でした。

一人で自由にも歩けませんから、一日中一緒に居る事になり、落ち込みました。
最初はホーカーの食事にも慣れませんから、
生まれて初めて、毎食自炊するようになりましたが、
俺は今まで満足に料理をしたことが無かったので、米すら満足に炊けませんでした。
飲みにも行かず、ゴルフにも行かず、息子を支える事に専念しました。

そして…
最近の事ですが、
学校も決まり、息子も英語特訓クラスから、普通のクラスに上がり、
一人で行動できるようになり、バイトもはじめました。
友人も出来き、
最近は引越し中に逃亡して、朝帰りをしたり、
遅くまで遊んでいる事もありますが、
男なのですから、それくらい元気であるべきと俺は思っています。

やっと、ここまで来ました。
正直、軌道にのりました。

俺、感無量であります。

と思っていたのですが。

そろそろ落としていいですか?

この間です。

息子に、さらっと、
『いや、お母さんだって独身なんだから、彼くらい出来るじゃん。しょうがないよ。許してやれよ。』
『彼が悪いわけでもないから、彼のせいで家をでたって言うのは可哀想だよ。』

とか言ったら、

息子がぽろっと

『いや、まあ、彼のせいだけじゃなくて、家を出たのは彼が家にきてうざかったのと、宿題が溜まったの半々かな。』

って、言ったんですよ。

まあ、切れの良い方なら直ぐに

『宿題がたまった。』って何だよ。新情報じゃん。

って思うでしょ。

当たり前ですけど、問い詰めましたよ。

そしたら、なんかですね。
息子曰く、日本の高校で数学の宿題が半年分くらい溜まったらしいんですよ。
んでもって、毎日、毎日、怒られてたらしいんです。
だから、シンガポールに来れば宿題しなくて良いと思ったらしいんです。

『半年分の宿題なんて、そんなの出来るわけ無いじゃん。あいつ(先生)気が狂ってる。』

とか言ってました。

狂ってるのはお前だ!

私、子を殺す親の気持ちがやっと分かりました。

結論を申し上げる。

親の心、子知らず。
教育に悩んでいるお父さん、お母さん。

考えるだけ、無駄である。なる様になれである。
究極の教育法は、最低限の関与、早期の自立である。

以上。

と言うわけで、
私、シンガポール太郎、
再び破天荒な人生を歩みたいと思います。

ちょっと頭のおかしい父子ですが、
今後とも、宜しくお願いいたします。

シンガポール太郎

命が惜しくければ、押す事だ。



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台湾に居ます2

今、台湾に居るんですが
今日、日本食が食いたくなって
探したら、定年退職した夫婦がやってる
お店を見つけて行って来ました。

大阪から、引っ越して来たそうで、
普段は日本人もあまり来ないみたいで、
女将さんか、まあ、話す話す、
延々と話し続けるんです。
『おかわりせんと、出世せえへんで!』
と、腹一杯食わされ、
特別なウーロン茶飲まされて、
頼んでない食い物が山ほ度食わされました。
しかも、台湾には台湾語があるとか、
面白い話しも、教えてもらい

最後は身の上話まで、聞いて
おっちゃん迄出て来て、呑み始め
勘定もまけてくれました。

色んな人が居て、面白い。


台湾に居ます。

今、台湾の田舎町にいます。

蝉が鳴いています。

箱根で5月病 対策2

皆様

どもども。

テニスコーチ太郎で御座います。

前回までのあらすじ。

温泉で5月対策を考えた。
詳細は読んでください。

えー、それでですね。

一神教はどうでも良いんです。
結局、現在の日本人が持っている悩みを解決は出来無そうです。

そもそも、神の名を借りて、
民衆をひとつに纏め、統治する。

と言うのが、
必要だったのは砂漠と言う、仮借ない灼熱環境であったからこそですし、
唯一絶対の神という考えも、まさにそのような状況の中で生まれた考えだと思います。


日本人の悩みは、
もっと、心の奥底にあり、内面との対話をもってしてしか
解決できないであろうと思います。

そこで、もう一つの大きな流れ、
多神教で検討して見ます。

多神教というと、ヒンズー教、仏教などですが、
実はこれも、一つの大きな流れの中にあります。

バラモン教  →
↓         ↓
仏教        ↓      

ヒンズー教

時系列的に言うと、こんな感じです。

これは、インドが発祥ですが、
そもそも、インドは何十、何百?と言う言語があるように
民族も多くに分かれています。
また、砂漠あり、熱帯あり、寒い地方あり
色々でして、それぞれの地に土着の神が居りました。

そのうちに、
バラモン教が勢力を拡大します。
バラモンは司祭などをさしますが、
この時点では単一の神を祭っていました。

古代インドのヴェーダ聖典を基にしたもので、
宇宙の根本原理ブラフマンと言う考えが特徴で
他には、わかりやすく言うと、カースト制度の根本です。

で、バラモン教の次に
ユダヤに対する、キリスト教と同じように
カースト制度を批判し、出来てくるのが、
仏教で、やはりその背景はイスラム教とキリスト教の関係とよく似ていて
ヒンズーで言う神たちと、仏教の仏で同じものは多々あります。

ヒンズーは、仏教の台頭に対抗する為に
バラモン教+土着の多くの神々をあわせて作られたものです。
時系列的には若干後に出来たと考えてよいものです。

で、この多神教においても
一神教と同様に、後になるにつれて、宗教自体が単純な信仰から
社会性を帯びてくるのですが、
仏教の場合には、『悟り』と言う言葉が示すとおり、
法律や、決まり、ルールと言う変化の仕方ではなく、
社会の中で、人間がどのように暮らすと良いのか、
心の中を哲学的に分析した結果、得た知識であり
自分の内面をどのようにコントロールするかと言うことに
命題を置いた宗教であるとと言えます。

この点において、
仏教が我々、現代社会の悩みを解決するのに
最適の宗教であると言えます。

例えば、
世界には依然、飢餓に苦しんでいる人や大自然と日々闘っている人が大勢いて、
そういう人には、他の宗教でも良いと思います。
原始宗教でも良いと思うし、単純に海や天を神とするのでも良いでしょう。

しかし、現在の日本人の悩みと言うのもは
物理的なものよりも、精神的なものでありますから
日本人には、心の科学とも呼ばれる仏教が良い。と思われます。

いやー、長かったのですが、
やっと、仏教で5月病対策をすることになりまして、
ここから、ちょっと仏教での教えについて、
私が独断と偏見で、簡単にまとめて見ます。

長いと苦情が出ていますので、
短めにまとめますが、

原始仏教の基本原理は、

生きることは苦であるということ。

苦を逃れるために、人間は足掻く、
例えば、空腹が苦しい為に、金を持ちたがる。
金を持つと、いずれなくなるのではないかという不安に苛まれ、
より多くの金を持とうとする。

しかし、

世の中は無常である。
(虚しいとか言う意味ではなく、常に同じものは無い、全てが日々変化していくと言うこと。)

であるからして、
金を幾ら貯めても、安心は得られない。

金を、どんな言葉と変えても良いわけです。
名声と変えても良いし、愛と変えても良い。

しかし、何事も永遠ではなく、
万物は常に変化に晒され、滅していく運命であると言うこと。

名声を得ても、名声を得たなりの苦労がある。
愛を得ても、それを上回る苦労が新たにあわられ、
それを解決する為により大きな苦を背負わなければならなくなる。

これが、基本です。
なんとなく、諦めの境地に達しているようにも聞こえますが、

苦の消える瞬間は無い。

と言うのが、基本です。
その上で、生きていこうと言うことなんです。

怒ると言うことは、自分は苦から逃れ、幸せになれるという
根拠の無い妄想の上に成り立ち、
根拠の無い妄想が破られることにより発生するものなのです。

恋人に別れを切り出されることもあるでしょう。
リストラにより、定年まで同じ会社に勤められないこともあるでしょう。
子供が思ったとおりに育たずにろくでなしになってしまうこともあるでしょう。

永遠の幸せは無いのです。
勿論、悪いままでもない。

ただ、生まれたものは、いずれ滅する。

という、事なのです。

いや、あのですね。
これって、すばらしく的を得ていると思うんですね。

まったく事実ですよ。
金を持っている人が幸せに見えるかというと
そんなことないし、
いまどき、よっぽどの馬鹿じゃない限り、
金だけで幸せになれるなんて思っていないと思います。

愛だけでも駄目で、愛にも永遠は無いというのも、
皆わかっているわけです。
仕事もそうで、努力だけで、結果が出るなどと、
本当に思っているとしたら、それは馬鹿です。

しかも、手に入れても、それは永遠ではないのです。

でね、私は思ったのですが、
幸せがあるとして、それが永遠ではないとしたら、
逆説的に言うと、将来のために何かを考えるよりも

常に、いま、この瞬間を大事にして、生きていけばいいのではないか。
そして、何かを手にして、それが失われることにおびえず、
むしろ、幸せは誰かにあげてしまうことにしよう。

この体が滅するまで、
愛も金も、
兎に角、手の中にあるものを全て誰かに与え続ければ良いのです。

無常を嘆かない、むしろ、
自分で常に動かし続ける。
こういう生き方ではどうだろう。

いうなれば、常にチャレンジし続ける、
そして、何もかも、惜しみなく与えるのです。

自画自賛ですが、これはすばらしいアイデアですよ。

通じてる?
いや、通じてないかもしれないが、
これは真理です。

考えてみれば、
結婚なんてしてから、気持ちのテンションずーっと下がりぱなしですもんね。
そこで、子供を生んで、で、その子供が大きくなって、孫が生まれて
そういう中で、お互いの男女の愛情は薄くなっても、
その代わりに、信頼関係や、人としての愛情が
大きくなってくると言うことです。

こういう風に、無常を認識し、常に新しい何かを生み出し続ける。
釈迦のように諦めて、『無理ジャン。』みたいに諦めな感じじゃなく
(諦めてなんかないという、解釈もあるでしょうが…)

常に、自分の希望や、社会環境を丸めて捏ねて、大きく常に動かし続ける。

これこそが真理じゃないでしょう。

で、私が少年に言うべきことは

仕事が辛いのも、今だけだ。
仕事を覚えれば辛くなくなるし、むしろ辛いから仕事を覚えていると言えるのだ。
辛くても、大学にいかせてくれる制度があれば行って、
海外工場が立ち上がるなら、何でも良いから手を上げてチャレンジするんだ。
常に自分を動かして、何処かに落ち着くなんて、病気になるか、死んでからで良いんだ。
その会社で得られるものが無くなれば、転職だってバンバンすれば良いんだ。
時代遅れのルールに縛られるんじゃない。

チャレンジと変化こそが人生だ。

ということを、言おうと。

で、面談したんですが、
全然悩みも無く、順調で、仕事も楽しそうでして
むしろ、

『いい加減、落ち着けよ。太郎。』

と言われ、逆に諭される始末でした…

それでも、折角考えたので、飯食いながら
俺の真理を話しましたが、

『…落ちは?』

と、言われまして、聞いてもらえず、
遠くにいる彼が好きな子の話とか
そっちのほうが、重要なようで

彼にとっては、真理なんかどうでも良いというのが
真理であるようです。



考えてみると、
おっさんが思いついた真理を若者に伝えても、
若者はまともに聞きやしないというのも
これもまた、真理だと思います。

俺も今までおっさんの話なんて真面目に聞いたことありません。
これも真理、

どうやら、
真理なんてものは世の中に腐るほどあるようです。


テニスコーチ太郎

10位圏内に入りそうです。

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